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建築家アントニ・ガウディまたは彼の代表作サグラダ・ファミリア(聖家族教会)と言えば今では建築の関係者のみならず、一般の人でも知らない人はいないほどポピュラーな存在になっています。テレビのCMやドキュメンタリ番組、旅番組で取り上げられたりしていることが大きな理由でしょうが、それだけでなく、やはり一度見たら人々の記憶に焼きついて離れないその特異なデザインによるものでしょう。

アントニ・ガウディ(1852〜1926 スペイン)
私が最初にガウディと言う建築家を知ったのは、40数年前、大学で建築を学び始めた時です。
当時全く建築知識のない私にとって、聞く事、見る事すべてが新鮮で興味のある事でしたが、中でもガウディは特別でした。
と言うのは、日本のガウディ研究の先駆者、紹介者として功績を残された、故今井兼次先生が、丁度私が入学した年に教授職を退かれ、運よくその最終講義をお聞きする機会に恵まれたからです。
講義の内容はすっかり忘れてしまいましたが、ガウディについて淡々と講義をすすめられた先生の姿は忘れられません。
しかし、まだガウディに対する日本での関心は今と比べて低く、今井先生が教職を去られると同時に次第に忘れ去られる存在となり、私の記憶からも遠ざかってゆきました。
それから20数年たった、今から21年前の1988年(昭和64年)始めてガウディ建築を目の当たりにすることができました。

グエル公園の回廊 斜めの壁と柱による不思議な空間
ドイツのミュンヘンで3年ごとに開かれる「セラミテック」の見学ツアーに参加して、その付録としてバルセロナ見学が組まれていたからです。駆け足旅行であったためじっくりと見学することはできませんでしたが、やはり実際に触れるガウディ建築は圧倒されました。現在のようなデジタルカメラもなく、使い捨てカメラの画像ですので写真の状態が悪いですが掲載させて頂きました。
前置きが長くなりましたが、ガウディ第1回目はグエル公園(1900-1914年)です。
ガウディ建築の導入部としてあえてこのグエル公園を選んでみました。
建設時は今で言う分譲住宅地開発でしたが、現在は市が買い上げて市民憩いの公園となっています。

グエル公園の回廊外観 内部では斜めが強調されているが外観は全く趣きが違う。
あいにく訪れた時は、大掛かりなメンテナンス工事の最中で、有名なモザイク張りのベンチがある空中広場とその下部の市場用空間には入ることができませんでしたが、その代わり普段あまり人が訪れない自然の多く残された周辺部を見る事ができました。想像していたより公園内は広く、また緑が豊富であったことが印象的でした。
自然の景観とあの独特なガウディデザインの空間がマッチして、訪れる者を飽きさせません。
どこまでが自然の造形でどこからが人工の造形なのか、いやむしろそんなことを詮索することを拒否しているのがガウディデザインかもしれません。

回廊の天井部分 石材がどのように固定されているのか?
直線と水平、直線と垂直が当たり前と思っている現代人にとって、ガウディが提供するイビツな空間は不思議な落ち着きを与えてくれます。一見不合理に見える構造もよく見ると自然にかなった合理を備えており、力の流れがデザインとなって構造の安定性を暗示しています。

別の回廊 天井と柱部分 柱上部のデザインはライトのジョンソンワックス本社を思い出させる
掲載した写真はすべて回廊部分です。
先程もお断りしましたように工事中であったため、空中広場を含めたグエル公園の中心施設については手持ちの写真がありません。ネットで検索していて、ガウディ作品の素晴らしい写真を掲載しているサイトをみつけましたので以下に紹介します。興味のある方はこちらを御覧になって下さい。
ガウディの遺産 http://www.guell.co.jp/gaudi/index.html

アントニ・ガウディ(1852〜1926 スペイン)
私が最初にガウディと言う建築家を知ったのは、40数年前、大学で建築を学び始めた時です。
当時全く建築知識のない私にとって、聞く事、見る事すべてが新鮮で興味のある事でしたが、中でもガウディは特別でした。
と言うのは、日本のガウディ研究の先駆者、紹介者として功績を残された、故今井兼次先生が、丁度私が入学した年に教授職を退かれ、運よくその最終講義をお聞きする機会に恵まれたからです。
講義の内容はすっかり忘れてしまいましたが、ガウディについて淡々と講義をすすめられた先生の姿は忘れられません。
しかし、まだガウディに対する日本での関心は今と比べて低く、今井先生が教職を去られると同時に次第に忘れ去られる存在となり、私の記憶からも遠ざかってゆきました。
それから20数年たった、今から21年前の1988年(昭和64年)始めてガウディ建築を目の当たりにすることができました。

グエル公園の回廊 斜めの壁と柱による不思議な空間
ドイツのミュンヘンで3年ごとに開かれる「セラミテック」の見学ツアーに参加して、その付録としてバルセロナ見学が組まれていたからです。駆け足旅行であったためじっくりと見学することはできませんでしたが、やはり実際に触れるガウディ建築は圧倒されました。現在のようなデジタルカメラもなく、使い捨てカメラの画像ですので写真の状態が悪いですが掲載させて頂きました。
前置きが長くなりましたが、ガウディ第1回目はグエル公園(1900-1914年)です。
ガウディ建築の導入部としてあえてこのグエル公園を選んでみました。
建設時は今で言う分譲住宅地開発でしたが、現在は市が買い上げて市民憩いの公園となっています。

グエル公園の回廊外観 内部では斜めが強調されているが外観は全く趣きが違う。
あいにく訪れた時は、大掛かりなメンテナンス工事の最中で、有名なモザイク張りのベンチがある空中広場とその下部の市場用空間には入ることができませんでしたが、その代わり普段あまり人が訪れない自然の多く残された周辺部を見る事ができました。想像していたより公園内は広く、また緑が豊富であったことが印象的でした。
自然の景観とあの独特なガウディデザインの空間がマッチして、訪れる者を飽きさせません。
どこまでが自然の造形でどこからが人工の造形なのか、いやむしろそんなことを詮索することを拒否しているのがガウディデザインかもしれません。

回廊の天井部分 石材がどのように固定されているのか?
直線と水平、直線と垂直が当たり前と思っている現代人にとって、ガウディが提供するイビツな空間は不思議な落ち着きを与えてくれます。一見不合理に見える構造もよく見ると自然にかなった合理を備えており、力の流れがデザインとなって構造の安定性を暗示しています。

別の回廊 天井と柱部分 柱上部のデザインはライトのジョンソンワックス本社を思い出させる
掲載した写真はすべて回廊部分です。
先程もお断りしましたように工事中であったため、空中広場を含めたグエル公園の中心施設については手持ちの写真がありません。ネットで検索していて、ガウディ作品の素晴らしい写真を掲載しているサイトをみつけましたので以下に紹介します。興味のある方はこちらを御覧になって下さい。
ガウディの遺産 http://www.guell.co.jp/gaudi/index.html
今回は番外の番外とでも言いましょうか、夢のある建物をご紹介します。
アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のマリン郡(Marin County)のシビックセンターです。
この作品はいろんな意味で象徴的な作品です。
まずライト90歳の時(1957年)の作品で、なおかつ遺作であるということ。
ライト唯一の公共建築であるということ。
そしてなによりも90歳にしてその創作意欲の並外れたエネルギーと、未来への夢を感じさせる建物だと言うことです。

普通の人であれば人生の最後を迎える時となれば、大向こうを唸らせるようなものでなく、枯れた味わいが表面に出てこざるを得ない地味なものですが、ライトの場合は違います。老いて益々盛んというか、老いて尚且つ新しさを追求して已みません。ライトはこの建物を設計してその2年後に永眠しています。

この建物のデザインモチーフは円ですが、その出発点は帝国ホテルに始まります。
由来、円のモチーフはライトにとって生涯のテーマであったことは間違いありませんが、この最後の作品でそれを完璧なまで追求しています。私はこの建物のアプローチ道路から見たエントランス部分の大アーチと、遠くから見た屋根のデザインが好きです。

バングラデッシュ国会議事堂
円から派生したアーチは人類の構築した構造物のなかで最も古くしかも美しい形ですが、このマリンカウンティー庁舎のアーチほど見事なものはありません。近代建築ではこのアーチに匹敵するのは、ルイス・カーンのバングラデッシュ国会議事堂しか思い当たりません。


円をモチーフにした屋根の軽快なデザインと透き通るようなブルーは見事に調和して見る者を飽きさせません。このようなデザインは世界を見渡しても公共建築では唯一無二のものではないでしょうか。
そこにライトが始めて手がけた公共建築に対する考え方が如実に表されていて愉快な気持ちになります。


ところでこの建物、アメリカ映画の「ガタカ」(1997年)でその主要な舞台として使われています。
この映画は人間の遺伝子操作をテーマにしたSF映画ですが、未来社会の建物として使われるほどこの建物が新しさを持っている証明とも言えます。しかも映画が製作された年の40年も前の建築です。天国のライトもしてやったりと、ほくそ笑んでいるのではないでしょうか。
エントランス天井部分
話は飛びますが、オイルマネーで潤っている中近東のドバイ、サウジ等で超高層建築が競って建てられていますが、とうとう1600m(1マイル)高さの建築計画も発表されたようです。
しかし今から50年以上前の1956年、ライトは「マイルハイ・タワー」(1609m高さ)という、とてつもない計画案を発表しています。マリンカウンティー庁舎の1年前、ライト89歳の時です。
イリノイ州のために提案された建物で、居住階とオフィス階があり、居住者は55,000人、建物外からオフィスへの通勤者は75,000人、合わせて13万人が入ると言う壮大なものです。
ライト自筆のパース図
2回に亘ってタイルにとらわれずに、帝国ホテルとは全く別の面のライトを紹介させていただきました。
今回でいったん、フランク・ロイド・ライトを離れ、次回からタイルに関係ある建物を数多く残した、スペインのガウディを取り上げて見ます。ライトについては又機会を設けてご紹介します。
アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のマリン郡(Marin County)のシビックセンターです。
この作品はいろんな意味で象徴的な作品です。
まずライト90歳の時(1957年)の作品で、なおかつ遺作であるということ。
ライト唯一の公共建築であるということ。
そしてなによりも90歳にしてその創作意欲の並外れたエネルギーと、未来への夢を感じさせる建物だと言うことです。

普通の人であれば人生の最後を迎える時となれば、大向こうを唸らせるようなものでなく、枯れた味わいが表面に出てこざるを得ない地味なものですが、ライトの場合は違います。老いて益々盛んというか、老いて尚且つ新しさを追求して已みません。ライトはこの建物を設計してその2年後に永眠しています。

この建物のデザインモチーフは円ですが、その出発点は帝国ホテルに始まります。
由来、円のモチーフはライトにとって生涯のテーマであったことは間違いありませんが、この最後の作品でそれを完璧なまで追求しています。私はこの建物のアプローチ道路から見たエントランス部分の大アーチと、遠くから見た屋根のデザインが好きです。

バングラデッシュ国会議事堂円から派生したアーチは人類の構築した構造物のなかで最も古くしかも美しい形ですが、このマリンカウンティー庁舎のアーチほど見事なものはありません。近代建築ではこのアーチに匹敵するのは、ルイス・カーンのバングラデッシュ国会議事堂しか思い当たりません。


円をモチーフにした屋根の軽快なデザインと透き通るようなブルーは見事に調和して見る者を飽きさせません。このようなデザインは世界を見渡しても公共建築では唯一無二のものではないでしょうか。
そこにライトが始めて手がけた公共建築に対する考え方が如実に表されていて愉快な気持ちになります。


ところでこの建物、アメリカ映画の「ガタカ」(1997年)でその主要な舞台として使われています。
この映画は人間の遺伝子操作をテーマにしたSF映画ですが、未来社会の建物として使われるほどこの建物が新しさを持っている証明とも言えます。しかも映画が製作された年の40年も前の建築です。天国のライトもしてやったりと、ほくそ笑んでいるのではないでしょうか。
エントランス天井部分話は飛びますが、オイルマネーで潤っている中近東のドバイ、サウジ等で超高層建築が競って建てられていますが、とうとう1600m(1マイル)高さの建築計画も発表されたようです。
しかし今から50年以上前の1956年、ライトは「マイルハイ・タワー」(1609m高さ)という、とてつもない計画案を発表しています。マリンカウンティー庁舎の1年前、ライト89歳の時です。
イリノイ州のために提案された建物で、居住階とオフィス階があり、居住者は55,000人、建物外からオフィスへの通勤者は75,000人、合わせて13万人が入ると言う壮大なものです。
ライト自筆のパース図2回に亘ってタイルにとらわれずに、帝国ホテルとは全く別の面のライトを紹介させていただきました。
今回でいったん、フランク・ロイド・ライトを離れ、次回からタイルに関係ある建物を数多く残した、スペインのガウディを取り上げて見ます。ライトについては又機会を設けてご紹介します。
先回迄、ロビー邸及び旧帝国ホテルとフランクロイドライトの作品をご紹介してきましたが、今回と次回はタイル・レンガとは離れますが番外編としまして、旧帝国ホテルとは全く対極にある彼の代表的作品を取り上げて見ます。
ライトのデザインはどうもなじめないと言う人の主たる原因はその濃密過ぎるとも言えるディテールデザインです。そこでそういう人でもすんなり入れるライトの幅広い才能を示す2作品をご紹介し、帝国ホテルでいささか食傷気味のあなたに食後のデザート的な爽快感を感じてください。
まず今回取り上げるのは「落水荘」の愛称で有名な「カウフマン邸」です。
場所はペンシルバニア州ピッツバーグ南東部郊外のベアラン渓流を望む人里離れた山の中です。
まず写真を見てください。

建物南西面を見上げた所 滝になって流れる渓流は「Bear Run」と呼ばれる川
この写真を見て落水荘あるいはカウフマン邸の名前をご存知ない方でも、この建物の写真は見たことはあると言う方もおられるでしょう。それほど有名であり、一度見たら忘れられない記憶に残る建物です。
しかしこの建物をある程度知っている方でも、あるいは写真は見たことはある方でも、この建物が造られた年代を知って見える方は少ないと思います。
答えは1936年完成です。今から70年以上前、実にライト69歳の時です。
この時代の日本はと言うと、
1935年(昭和10年)4月6日 満州国皇帝溥儀来日。
1935年(昭和10年)4月7日 美濃部達吉天皇機関説のため不敬罪で告発される。
1935年(昭和10年)6月10日 梅津・何応欽協定成立(日本軍による華北分離工作の開始)。
1935年(昭和10年)8月12日 永田鉄山軍務局長暗殺事件(相沢事件)
1935年(昭和10年)11月9日 上海で日本人水兵が殺害さる(中山事件)
1935年(昭和10年) 第1回芥川賞 石川達三 『蒼氓』
1936年(昭和11年)2月26日 二・二六事件
となっており、芥川賞の記事を除き松本清張の「昭和史発掘」の主だった章が一同に会した感のある時代です。
建物へのアプローチ
このようにすでに歴史のかなたにしか見ることの出来ない時代にこの建物は造られているのです。
私は40年以上前にこの建物の写真を始めて見たときも、また今改めてこの写真を見てもそのデザインの新鮮さは驚きを持って見るしか術を知りません。
いささかも古さを感じさず、むしろ輝きは増すばかりのように思われます。
落水荘はライトの最高傑作と言われていますが、ライトのみならず20世紀の最高傑作とも言える建物だと思います。
文化・時代を超えた普遍性を持った名建築としておそらく後世にも語り継がれることでしょう。
この建物は建設当初から世界に衝撃を与えていたようです。その証拠に完成の翌年、雑誌「タイム」の表紙を飾ったことからも判ります。

アプローチ側から南東面を見る
旧帝国ホテル完成後わずか13年後に、デザイン手法が全く異なるこのような建築をデザインできるライトの恐るべき才能に感服せざるを得ません。
旧帝国ホテルでライトが縦横無尽に描き尽くしたあの夥しいオーナメントはこの建物では殆ど見ることは出来ません。建物の要素としては装飾のない白い化粧(多分リシン系のこて仕上)のみのコンクリートと石材、そして近代建築の象徴とも言えるスチールとガラスで構成されています。

黄昏時の情景
しかしロビー邸や帝国ホテルで、ライトが最も美しくかつ安定している形として考え実践して来た、自然の樹木をデザイン化したような形態はここでも生かされています。
そして一つ一つのブロックが見事なスケールバランスで構成されています。

冬景色
掲載した写真を見てください。どの角度から見てもみごとな美しさを備えています。
コンクリートの白い壁面と、現地の石を利用した石壁とのコントラストが見事です。この石壁のデザインはライトのアトリエであるタリアセンイースト、タリアセンウエストはじめ多くの住宅で使われている様式ですが、現在でも引用され広く使われているデザイン手法です。
石壁の詳細

北側にあるゲストルームへの連絡通路の屋根。古さを感じさせないデザイン感覚

リビングルーム
コンクリートのキャンティレバー(片持ち出し床面)が余りにも有名なため、その影に隠れてしまい、取り上げられることが少ないですが、ガラスとスティールの処理でもライトは新しい試みをし、見事成功しています。
ガラスとスティール言えば、3大建築家の他の2人、ル・コルビジュエ、ミース・ファンデル・ローエの得意とするところですが、2人の代表作、コルビジュエのサヴォア邸が1931年、ミースのファンズワース邸が1950年ですから、この落水荘はサヴォア邸の5年後、ファンズワース邸の14年前ということになります。

コーナー部にフレームがない大胆なデザイン。 70年前のデザインとはとても思えない。
私はこれらの3つの建築に実際に訪れた経験がなく、写真でしか見たことがないので迂闊なことは言えませんが、同じ住宅と言う題材と材料を使っても、デザインセンスはライトに軍配が上がる様な気がします。
その基になっているのは帝国ホテルでピークを迎えるライトの夥しいディテールデザインの蓄積であると思います。
画家で言えば、ピカソが少年時代から青年時代にかけ緻密な写実絵画でデッサン力を磨き、後にキュビズム絵画を完成させる基礎になったことと同じ意味合いがあるのではと思われます。
ライトに比べ他の2人は腕の動かし方がはるかに少なかったのでしょう。経験の積み重ねが違うような気がします。
帝国ホテル以降はライトにとって不遇の時代が続きます。カリフォルニアに幾つもの新感覚の住宅を造っていますが、何かを求め格闘していた時代であったようです。
その苦しみから一気に抜け出てライト建築を完成させたのがこの落水荘であったのです。
丁度ピカソにとって「アビニョンの娘たち」がそれであったと同じ様に。
ライトのデザインはどうもなじめないと言う人の主たる原因はその濃密過ぎるとも言えるディテールデザインです。そこでそういう人でもすんなり入れるライトの幅広い才能を示す2作品をご紹介し、帝国ホテルでいささか食傷気味のあなたに食後のデザート的な爽快感を感じてください。
まず今回取り上げるのは「落水荘」の愛称で有名な「カウフマン邸」です。
場所はペンシルバニア州ピッツバーグ南東部郊外のベアラン渓流を望む人里離れた山の中です。
まず写真を見てください。

建物南西面を見上げた所 滝になって流れる渓流は「Bear Run」と呼ばれる川
この写真を見て落水荘あるいはカウフマン邸の名前をご存知ない方でも、この建物の写真は見たことはあると言う方もおられるでしょう。それほど有名であり、一度見たら忘れられない記憶に残る建物です。
しかしこの建物をある程度知っている方でも、あるいは写真は見たことはある方でも、この建物が造られた年代を知って見える方は少ないと思います。
答えは1936年完成です。今から70年以上前、実にライト69歳の時です。
この時代の日本はと言うと、
1935年(昭和10年)4月6日 満州国皇帝溥儀来日。
1935年(昭和10年)4月7日 美濃部達吉天皇機関説のため不敬罪で告発される。
1935年(昭和10年)6月10日 梅津・何応欽協定成立(日本軍による華北分離工作の開始)。
1935年(昭和10年)8月12日 永田鉄山軍務局長暗殺事件(相沢事件)
1935年(昭和10年)11月9日 上海で日本人水兵が殺害さる(中山事件)
1935年(昭和10年) 第1回芥川賞 石川達三 『蒼氓』
1936年(昭和11年)2月26日 二・二六事件
となっており、芥川賞の記事を除き松本清張の「昭和史発掘」の主だった章が一同に会した感のある時代です。
建物へのアプローチこのようにすでに歴史のかなたにしか見ることの出来ない時代にこの建物は造られているのです。
私は40年以上前にこの建物の写真を始めて見たときも、また今改めてこの写真を見てもそのデザインの新鮮さは驚きを持って見るしか術を知りません。
いささかも古さを感じさず、むしろ輝きは増すばかりのように思われます。
落水荘はライトの最高傑作と言われていますが、ライトのみならず20世紀の最高傑作とも言える建物だと思います。
文化・時代を超えた普遍性を持った名建築としておそらく後世にも語り継がれることでしょう。
この建物は建設当初から世界に衝撃を与えていたようです。その証拠に完成の翌年、雑誌「タイム」の表紙を飾ったことからも判ります。

アプローチ側から南東面を見る
旧帝国ホテル完成後わずか13年後に、デザイン手法が全く異なるこのような建築をデザインできるライトの恐るべき才能に感服せざるを得ません。
旧帝国ホテルでライトが縦横無尽に描き尽くしたあの夥しいオーナメントはこの建物では殆ど見ることは出来ません。建物の要素としては装飾のない白い化粧(多分リシン系のこて仕上)のみのコンクリートと石材、そして近代建築の象徴とも言えるスチールとガラスで構成されています。

黄昏時の情景
しかしロビー邸や帝国ホテルで、ライトが最も美しくかつ安定している形として考え実践して来た、自然の樹木をデザイン化したような形態はここでも生かされています。
そして一つ一つのブロックが見事なスケールバランスで構成されています。

冬景色
掲載した写真を見てください。どの角度から見てもみごとな美しさを備えています。
コンクリートの白い壁面と、現地の石を利用した石壁とのコントラストが見事です。この石壁のデザインはライトのアトリエであるタリアセンイースト、タリアセンウエストはじめ多くの住宅で使われている様式ですが、現在でも引用され広く使われているデザイン手法です。
石壁の詳細
北側にあるゲストルームへの連絡通路の屋根。古さを感じさせないデザイン感覚

リビングルーム
コンクリートのキャンティレバー(片持ち出し床面)が余りにも有名なため、その影に隠れてしまい、取り上げられることが少ないですが、ガラスとスティールの処理でもライトは新しい試みをし、見事成功しています。
ガラスとスティール言えば、3大建築家の他の2人、ル・コルビジュエ、ミース・ファンデル・ローエの得意とするところですが、2人の代表作、コルビジュエのサヴォア邸が1931年、ミースのファンズワース邸が1950年ですから、この落水荘はサヴォア邸の5年後、ファンズワース邸の14年前ということになります。

コーナー部にフレームがない大胆なデザイン。 70年前のデザインとはとても思えない。
私はこれらの3つの建築に実際に訪れた経験がなく、写真でしか見たことがないので迂闊なことは言えませんが、同じ住宅と言う題材と材料を使っても、デザインセンスはライトに軍配が上がる様な気がします。
その基になっているのは帝国ホテルでピークを迎えるライトの夥しいディテールデザインの蓄積であると思います。
画家で言えば、ピカソが少年時代から青年時代にかけ緻密な写実絵画でデッサン力を磨き、後にキュビズム絵画を完成させる基礎になったことと同じ意味合いがあるのではと思われます。
ライトに比べ他の2人は腕の動かし方がはるかに少なかったのでしょう。経験の積み重ねが違うような気がします。
帝国ホテル以降はライトにとって不遇の時代が続きます。カリフォルニアに幾つもの新感覚の住宅を造っていますが、何かを求め格闘していた時代であったようです。
その苦しみから一気に抜け出てライト建築を完成させたのがこの落水荘であったのです。
丁度ピカソにとって「アビニョンの娘たち」がそれであったと同じ様に。
帝国ホテルの章も今回が最後となりました。これまでも折にふれレンガを取り上げてきましたが、このブログのタイトルが「タイルの歴史と文化」ですので最後にそのレンガについて少し詳しく取り上げてみます。
帝国ホテルの外内観を特徴づけるものはレンガと大谷石です。その他に使われているものでは軒ルーバーに使用されている銅がありますがよほど気をつけてみないと判りません。
大谷石は非常に加工性がよく、ライトの多彩なデザインに適した石材と言えます。ただ内装では成功でしたが外装に使用したことはその耐久性から見て失敗としか言いようがありません。建物の寿命が半世紀足らずで終えなければならなかった原因のひとつがこの大谷石でした。最もこの当時の材料学ではそれを見分けるだけの資料がなかったであろうことは容易に想像がつきますが、それにしても不幸でした。しかしライトの設計手法からすれば、内装と外装で違う材料を使用することは考えられず、もし大谷石が外装では無理と判断されれば、外内装に使われたあの素晴らしい大谷石のオーナメントは日の目を見ることは無かったでしょう。
その点今回のテーマのレンガは材料としてパーフェクトでした。以前にも書きました様にすべて国産で、現在のINAXの前身である愛知県常滑市の工場で作られました。
種類は大きく分けて、メインのレンガであるたてにひっかき溝を入れた「スクラッチレンガ」1種類とその派生である装飾レンガが2種類(「市松模様レンガ」と「千鳥模様レンガ」)、そして通常の方形レンガとは違う装飾異型レンガが2種類(「装飾テラコッタ」と「照明テラコッタ」)の計5種類となります。
以下にそれらの写真を掲載しますがすべてこれまでと同じく明石信道著「旧帝国ホテルの実証的研究」より拝借しております。
なお記述している寸法は実測による寸法です。ばらつきがありますので約としました。
レンガ寸法はばらついていても目地で調整し、水平方向は1フィートのモジュール、高さ方向は目地込みで70mmのモジュールとなっています。
「スクラッチレンガ」
寸法:約315(長さ)x55(高さ)x50(奥行)
約105x55x50
約210x55x50
約420x55x50

「市松模様レンガ」
寸法はスクラッチレンガと同じ

「千鳥模様レンガ」
寸法はスクラッチレンガと同じ
「透かし入り千鳥模様レンガ」の裏面
コの字型の部分がくり貫かれている。

「装飾テラコッタ平物」
寸法:約210(長さ)x205(高さ)
高さはスクラッチレンガ3枚分のモジュー
ル寸法になっている。

「装飾テラコッタ半マス役物」 左右組み合わせて使う
「装飾テラコッタ」
コーナー用役物
鋳込み成形とは言え、成形技術の高さ
に驚かされる。
「照明テラコッタ」
寸法:約125x125x65(奥行)
縦横はレンガ2枚分のモジュール寸法になっている。
このテラコッタについてはメインダイニングルームの
稿で取り上げたのでご記憶の方もおられるでしょう。
この写真は筆者が撮ったものです。
そしてスクラッチレンガと2種類の装飾レンガにはそれぞれ4種類の長さとコーナーの役物が1種類、装飾レンガの千鳥レンガにはすかしを入れたものと入れてないものの2種類、装飾テラコッタには平物1種類と、右型と左型の半マス役物2種類及びコーナー用役物があります。
スクラッチレンガと装飾レンガは同じ材質で、色は黄色、明石教授は日本の漆喰壁に見られる「黄大津色」と言っておられます。但し取り壊し直前の昭和40年代では外装レンガのオリジナルの黄色は排気ガスにまみれて濃い茶色に見えました。当時はどの国も、自動車、工場も含め排気ガス規制はありませんでしたから大気汚染がひどく、建物は汚れるがままでした。
先回掲載した建物全景写真に煙突から出る煙が写っていましたがまさしくそれを象徴しています。
レンガの寸法は高さが52〜55mm、奥行き46〜52mm、長さは105、210、315、420mmの4種類です。メインの長さ寸法は315mmですがこれは1フィートのモジュールから来たものと思われます。
また吸水率は7%程度、圧縮強度は130kg/平方cmでしたから現在の建築用レンガと比べるとかなり弱いものでした。(参考:レンガの圧縮強度JIS規格は300kgf/平方cm、タイルには圧縮強度のJIS規格はありませんが通常の床タイルを測定してみると1100kg/平方cm以上あります) 尤もライトはレンガを構造材としては使っておらず、鉄筋コンクリートの型枠兼仕上材として使っていますから、この程度の強度でも問題はありませんでした。
目地幅については縦目地はねむり目地、横目地は約15mmと比較的広く、デザイン意図としては横方向の線を強調しています。また高さ方向のモジュール寸法はレンガが55mmですから70mmということになります。このことは建物の高さを計算するにレンガの数を数えればよいので非常に便利でした。目地の沈みは5mm程度でした。
またレンガは外内装に使っていますが、内装では15mmの目地に金粉を塗布しています。レンガと金粉の組合せとは異様な感じを受けるかも知れませんが、黄色のレンガと金色目地のコンビネーションが不思議とけばけばしくなく、落ち着いた質感を出しています。
一方装飾異型レンガは鋳込み成形のため、原料粒度が細かく不純物も少ないようで、滑らかな肌合いを持っていました。色もやや茶色味が多い感じでした。これらのレンガは照明もしくは自然光という光を意識させる場所で使用されています。寸法は装飾テラコッタが210x205mm(高さ)で高さ方向がスクラッチレンガ3枚分、照明テラコッタが125x125x65mm(奥行)で高さ方向がスクラッチレンガ2枚分の寸法です。
なお先ほども書きましたが、この建物は鉄筋コンクリート構造ですが、レンガを型枠兼仕上材として使っています。まだ鉄筋コンクリート造の建物が少なかったこの時代に、仕上材を型枠として使ったと言う例はもしかして最初の建物かもしれません。
もしこの点につき詳しい方がおられましたらご意見をいただければ幸いです。
以下にそれぞれの使用例を「旧帝国ホテルの実証的研究」より写真をお借りして紹介させて頂きます。

「市松模様レンガ」使用例
市松模様レンガはこのように基壇部の大谷石とスクラッチレンガ
の見切りに使用されている。
この使用方法はすべての場所で一貫して貫かれている。

「市松模様レンガ」使用例
この写真はバンケットホール外部のキャ
ンティレバー(片持ち梁)下部です。
大谷石の装飾にアクセントをつけデザイ
ンが引き締まって見えます。

「市松模様レンガ」使用例
この場所は西側メインエントランスの
建物 外壁コーナー部分です。
例の如く基壇部の見切りに使用され、
また上部の梁との見切りにも使用され
ている。
真ん中あたりにアクセントとして千鳥
模様レンガも使用されている。

「千鳥模様レンガ」使用例 客室棟のエレベータータワー
この例はすかしの千鳥模様レンガを使用している。

「千鳥模様レンガ」使用例
このレンガは透かしは入っていない。

「千鳥模様レンガ」使用例 客室棟外壁面

「装飾テラコッタ」使用例
このテラコッタレンガの使用方法
の代表的な使用例
ロビー4隅にある光の柱に使用さ
れている。

光の柱詳細

「装飾テラコッタ」使用例
ラウンジの階段踊り場の手摺壁
コーナー部に使用

「照明テラコッタ」使用例
柱に埋め込まれた照明に使用

「照明テラコッタ」使用例
プロムナード東エントランスの上部に
照明として使用

照明部分の拡大
営業目的で作られた建築は機能が時代に合わなければ新陳代謝で消滅していくのは宿命と言えます。
しかし価値ある建築は人類の遺産として後世に残す努力をすることも必要でしょう。その保存作業に入った時点で建築も芸術品となるのです。その点この建物は不十分ではありますが現在明治村に移設されその面影を残しています。ただ何度も書きましたがこの建物の魅力はあのロビーだけではありません。ほんの一部です。
青春時代に、この建物から数限りない感動と刺激をうけた一人として、今の若い人がこの建物の全貌に触れその素晴らしさを体験できなくなってしまったこと、すでに40年の時が経過しましたが改めて残念としか言い様がありません。
10回に亘ってフランク・ロイド・ライトの代表作である帝国ホテルを紹介してきました。最後に帝国ホテル中央棟、北客室棟完成時のライトが写っている記念写真を掲載して帝国ホテルの章を閉じたいと思います。

メインエントランスのポルトコシェの前で記念写真
左端の黒い上着を着て白い帽子をかぶっている人がライト
明石信道著 「旧帝国ホテルの実証的研究」より
帝国ホテルの外内観を特徴づけるものはレンガと大谷石です。その他に使われているものでは軒ルーバーに使用されている銅がありますがよほど気をつけてみないと判りません。
大谷石は非常に加工性がよく、ライトの多彩なデザインに適した石材と言えます。ただ内装では成功でしたが外装に使用したことはその耐久性から見て失敗としか言いようがありません。建物の寿命が半世紀足らずで終えなければならなかった原因のひとつがこの大谷石でした。最もこの当時の材料学ではそれを見分けるだけの資料がなかったであろうことは容易に想像がつきますが、それにしても不幸でした。しかしライトの設計手法からすれば、内装と外装で違う材料を使用することは考えられず、もし大谷石が外装では無理と判断されれば、外内装に使われたあの素晴らしい大谷石のオーナメントは日の目を見ることは無かったでしょう。
その点今回のテーマのレンガは材料としてパーフェクトでした。以前にも書きました様にすべて国産で、現在のINAXの前身である愛知県常滑市の工場で作られました。
種類は大きく分けて、メインのレンガであるたてにひっかき溝を入れた「スクラッチレンガ」1種類とその派生である装飾レンガが2種類(「市松模様レンガ」と「千鳥模様レンガ」)、そして通常の方形レンガとは違う装飾異型レンガが2種類(「装飾テラコッタ」と「照明テラコッタ」)の計5種類となります。
以下にそれらの写真を掲載しますがすべてこれまでと同じく明石信道著「旧帝国ホテルの実証的研究」より拝借しております。
なお記述している寸法は実測による寸法です。ばらつきがありますので約としました。
レンガ寸法はばらついていても目地で調整し、水平方向は1フィートのモジュール、高さ方向は目地込みで70mmのモジュールとなっています。
「スクラッチレンガ」
寸法:約315(長さ)x55(高さ)x50(奥行)
約105x55x50
約210x55x50
約420x55x50

「市松模様レンガ」
寸法はスクラッチレンガと同じ

「千鳥模様レンガ」
寸法はスクラッチレンガと同じ
「透かし入り千鳥模様レンガ」の裏面
コの字型の部分がくり貫かれている。

「装飾テラコッタ平物」
寸法:約210(長さ)x205(高さ)
高さはスクラッチレンガ3枚分のモジュー
ル寸法になっている。

「装飾テラコッタ半マス役物」 左右組み合わせて使う
「装飾テラコッタ」
コーナー用役物
鋳込み成形とは言え、成形技術の高さ
に驚かされる。
「照明テラコッタ」
寸法:約125x125x65(奥行)
縦横はレンガ2枚分のモジュール寸法になっている。
このテラコッタについてはメインダイニングルームの
稿で取り上げたのでご記憶の方もおられるでしょう。
この写真は筆者が撮ったものです。
そしてスクラッチレンガと2種類の装飾レンガにはそれぞれ4種類の長さとコーナーの役物が1種類、装飾レンガの千鳥レンガにはすかしを入れたものと入れてないものの2種類、装飾テラコッタには平物1種類と、右型と左型の半マス役物2種類及びコーナー用役物があります。
スクラッチレンガと装飾レンガは同じ材質で、色は黄色、明石教授は日本の漆喰壁に見られる「黄大津色」と言っておられます。但し取り壊し直前の昭和40年代では外装レンガのオリジナルの黄色は排気ガスにまみれて濃い茶色に見えました。当時はどの国も、自動車、工場も含め排気ガス規制はありませんでしたから大気汚染がひどく、建物は汚れるがままでした。
先回掲載した建物全景写真に煙突から出る煙が写っていましたがまさしくそれを象徴しています。
レンガの寸法は高さが52〜55mm、奥行き46〜52mm、長さは105、210、315、420mmの4種類です。メインの長さ寸法は315mmですがこれは1フィートのモジュールから来たものと思われます。
また吸水率は7%程度、圧縮強度は130kg/平方cmでしたから現在の建築用レンガと比べるとかなり弱いものでした。(参考:レンガの圧縮強度JIS規格は300kgf/平方cm、タイルには圧縮強度のJIS規格はありませんが通常の床タイルを測定してみると1100kg/平方cm以上あります) 尤もライトはレンガを構造材としては使っておらず、鉄筋コンクリートの型枠兼仕上材として使っていますから、この程度の強度でも問題はありませんでした。
目地幅については縦目地はねむり目地、横目地は約15mmと比較的広く、デザイン意図としては横方向の線を強調しています。また高さ方向のモジュール寸法はレンガが55mmですから70mmということになります。このことは建物の高さを計算するにレンガの数を数えればよいので非常に便利でした。目地の沈みは5mm程度でした。
またレンガは外内装に使っていますが、内装では15mmの目地に金粉を塗布しています。レンガと金粉の組合せとは異様な感じを受けるかも知れませんが、黄色のレンガと金色目地のコンビネーションが不思議とけばけばしくなく、落ち着いた質感を出しています。
一方装飾異型レンガは鋳込み成形のため、原料粒度が細かく不純物も少ないようで、滑らかな肌合いを持っていました。色もやや茶色味が多い感じでした。これらのレンガは照明もしくは自然光という光を意識させる場所で使用されています。寸法は装飾テラコッタが210x205mm(高さ)で高さ方向がスクラッチレンガ3枚分、照明テラコッタが125x125x65mm(奥行)で高さ方向がスクラッチレンガ2枚分の寸法です。
なお先ほども書きましたが、この建物は鉄筋コンクリート構造ですが、レンガを型枠兼仕上材として使っています。まだ鉄筋コンクリート造の建物が少なかったこの時代に、仕上材を型枠として使ったと言う例はもしかして最初の建物かもしれません。
もしこの点につき詳しい方がおられましたらご意見をいただければ幸いです。
以下にそれぞれの使用例を「旧帝国ホテルの実証的研究」より写真をお借りして紹介させて頂きます。

「市松模様レンガ」使用例
市松模様レンガはこのように基壇部の大谷石とスクラッチレンガ
の見切りに使用されている。
この使用方法はすべての場所で一貫して貫かれている。

「市松模様レンガ」使用例
この写真はバンケットホール外部のキャ
ンティレバー(片持ち梁)下部です。
大谷石の装飾にアクセントをつけデザイ
ンが引き締まって見えます。

「市松模様レンガ」使用例
この場所は西側メインエントランスの
建物 外壁コーナー部分です。
例の如く基壇部の見切りに使用され、
また上部の梁との見切りにも使用され
ている。
真ん中あたりにアクセントとして千鳥
模様レンガも使用されている。

「千鳥模様レンガ」使用例 客室棟のエレベータータワー
この例はすかしの千鳥模様レンガを使用している。

「千鳥模様レンガ」使用例
このレンガは透かしは入っていない。

「千鳥模様レンガ」使用例 客室棟外壁面

「装飾テラコッタ」使用例
このテラコッタレンガの使用方法
の代表的な使用例
ロビー4隅にある光の柱に使用さ
れている。

光の柱詳細

「装飾テラコッタ」使用例
ラウンジの階段踊り場の手摺壁
コーナー部に使用

「照明テラコッタ」使用例
柱に埋め込まれた照明に使用

「照明テラコッタ」使用例
プロムナード東エントランスの上部に
照明として使用

照明部分の拡大
営業目的で作られた建築は機能が時代に合わなければ新陳代謝で消滅していくのは宿命と言えます。
しかし価値ある建築は人類の遺産として後世に残す努力をすることも必要でしょう。その保存作業に入った時点で建築も芸術品となるのです。その点この建物は不十分ではありますが現在明治村に移設されその面影を残しています。ただ何度も書きましたがこの建物の魅力はあのロビーだけではありません。ほんの一部です。
青春時代に、この建物から数限りない感動と刺激をうけた一人として、今の若い人がこの建物の全貌に触れその素晴らしさを体験できなくなってしまったこと、すでに40年の時が経過しましたが改めて残念としか言い様がありません。
10回に亘ってフランク・ロイド・ライトの代表作である帝国ホテルを紹介してきました。最後に帝国ホテル中央棟、北客室棟完成時のライトが写っている記念写真を掲載して帝国ホテルの章を閉じたいと思います。

メインエントランスのポルトコシェの前で記念写真
左端の黒い上着を着て白い帽子をかぶっている人がライト
明石信道著 「旧帝国ホテルの実証的研究」より
これまでこの名建築の各部分を取り上げてその魅力を書いてきましたが、最後に全体の外観を取り上げてみます。
先回も書きましたがこの建物の平面計画は川の字を横にして東西方向に並べたプランになっています。3本の棟のうち南北の2棟は客室棟で、3階建ての軒高は西から東まで同じ高さになっています。一方中央棟は色々な機能を持った空間が収められていますが、西端の池から始まり、ポルトコシエ(車寄せ)、エントランスロビーと順番に軒高をリズミカルに高くし東端のバンケットホールが最も高くなっています。池からロビーまでが第1楽章、ダイニングルームが静かな第二楽章、プロムナードがメヌエットの第三楽章、そしてオーディトリウム、バンケットホールがフィナーレの第4楽章と言った劇的な構成になっています。
次の画像はそのレイアウトがよくわかる、日比谷公園上空からの写真とパース図です。

明石信道著 「旧帝国ホテルの実証的研究」より
新館完成時の昭和30年代初頭頃の写真と思われます。
手前に見える路面電車や遠方に黒煙を吐く煙突が見えるのも郷愁を誘います。

明石信道著 「旧帝国ホテルの実証的研究」より
日比谷公園から見る西側の景観は建物の規模にしては前景のロビーが比較的低く押さえられている上に、建物が池を隔てて奥に配置されているため非常に落ち着いた雰囲気のたたずまいになっています。またロビーからセットバックしてバンケットホールが重なって見える立面は完璧な比率のスケールバランスで構成され奥行きと安定感を感じさせます。逆に反対側の東端バンケットホール側は、キャンティレバー構造(片持ち出し)を織り交ぜながら一気に建物が28mの高さまでせり上がっていますので力強い男性的な表情を見せていて、当時としては非常に高い建物という印象を与えていたものと思われます。

東側のエントランスからオーディトリウム、バンケットホールを見上げる。
西側メインエントランスとは全く違う表情を見せている。
明石信道著 「旧帝国ホテルの実証的研究」より 撮影 村井修
北側は先回でも取り上げましたが、みゆき通りに面して客室棟が配置されています。
昭和30年代当時、有楽町で電車を降り、山手線沿いに狭い道路を歩いてみゆき通りに出ると右側に視界が開けますが、ここで濃い茶色の帝国ホテルの客室棟を左に見ながら、その奥に日比谷公園の緑が見える景観は今でも鮮明に思い出されます。

新館から西方を見る。手前の屋根はバンケットホールの屋根。向こうに見える緑は日比谷公園。
右側の白い建物は日生劇場。
明石信道著 「旧帝国ホテルの実証的研究」より 撮影 村井修
中央棟と客室棟の間には中庭が配置されていました。この中庭や中庭方向から見たダイニングルーム、バンケットホールの写真は殆ど見られません。完成時の貴重な写真が「旧帝国ホテルの実証的研究」に掲載されていましたので紹介させて頂きます。

ダイニングルーム屋上より北側のダイニングガーデンを通してブリッジ及び客室を見る。

南側ブリッジから見た、ダイニングルーム側廊及びバンケットホール西面
なおライトは中央棟と北側客室棟の完成を見届けてから帰国しています。ホテル側といろいろトラブルがあり、南側の客室棟は北と同じだから、日本人の技術者だけでも出来るからという判断だったようです。

南側から全景を見る。手前の客室棟はライト帰国後、日本人だけで建設された。
日生劇場が建設工事中の頃の写真
明石信道著 「旧帝国ホテルの実証的研究」より 撮影 村井修
全体を写したものではカラーの写真が少ないので建物の雰囲気を感じ取って頂けるのか心配ですが、帝国ホテルの規模の壮大さを少しでもお伝えできればと掲載させていただきました。写真はいずれもこれまでと同じく明石信道氏の「旧帝国ホテルの実証的研究」から拝借させていただきました。
次回は帝国ホテルの最終回ですがこの建物の大きな要素であり、我々タイル業界にも影響を与えてきたレンガについて詳しく取り上げます。
先回も書きましたがこの建物の平面計画は川の字を横にして東西方向に並べたプランになっています。3本の棟のうち南北の2棟は客室棟で、3階建ての軒高は西から東まで同じ高さになっています。一方中央棟は色々な機能を持った空間が収められていますが、西端の池から始まり、ポルトコシエ(車寄せ)、エントランスロビーと順番に軒高をリズミカルに高くし東端のバンケットホールが最も高くなっています。池からロビーまでが第1楽章、ダイニングルームが静かな第二楽章、プロムナードがメヌエットの第三楽章、そしてオーディトリウム、バンケットホールがフィナーレの第4楽章と言った劇的な構成になっています。
次の画像はそのレイアウトがよくわかる、日比谷公園上空からの写真とパース図です。

明石信道著 「旧帝国ホテルの実証的研究」より
新館完成時の昭和30年代初頭頃の写真と思われます。
手前に見える路面電車や遠方に黒煙を吐く煙突が見えるのも郷愁を誘います。

明石信道著 「旧帝国ホテルの実証的研究」より
日比谷公園から見る西側の景観は建物の規模にしては前景のロビーが比較的低く押さえられている上に、建物が池を隔てて奥に配置されているため非常に落ち着いた雰囲気のたたずまいになっています。またロビーからセットバックしてバンケットホールが重なって見える立面は完璧な比率のスケールバランスで構成され奥行きと安定感を感じさせます。逆に反対側の東端バンケットホール側は、キャンティレバー構造(片持ち出し)を織り交ぜながら一気に建物が28mの高さまでせり上がっていますので力強い男性的な表情を見せていて、当時としては非常に高い建物という印象を与えていたものと思われます。

東側のエントランスからオーディトリウム、バンケットホールを見上げる。
西側メインエントランスとは全く違う表情を見せている。
明石信道著 「旧帝国ホテルの実証的研究」より 撮影 村井修
北側は先回でも取り上げましたが、みゆき通りに面して客室棟が配置されています。
昭和30年代当時、有楽町で電車を降り、山手線沿いに狭い道路を歩いてみゆき通りに出ると右側に視界が開けますが、ここで濃い茶色の帝国ホテルの客室棟を左に見ながら、その奥に日比谷公園の緑が見える景観は今でも鮮明に思い出されます。

新館から西方を見る。手前の屋根はバンケットホールの屋根。向こうに見える緑は日比谷公園。
右側の白い建物は日生劇場。
明石信道著 「旧帝国ホテルの実証的研究」より 撮影 村井修
中央棟と客室棟の間には中庭が配置されていました。この中庭や中庭方向から見たダイニングルーム、バンケットホールの写真は殆ど見られません。完成時の貴重な写真が「旧帝国ホテルの実証的研究」に掲載されていましたので紹介させて頂きます。

ダイニングルーム屋上より北側のダイニングガーデンを通してブリッジ及び客室を見る。

南側ブリッジから見た、ダイニングルーム側廊及びバンケットホール西面
なおライトは中央棟と北側客室棟の完成を見届けてから帰国しています。ホテル側といろいろトラブルがあり、南側の客室棟は北と同じだから、日本人の技術者だけでも出来るからという判断だったようです。

南側から全景を見る。手前の客室棟はライト帰国後、日本人だけで建設された。
日生劇場が建設工事中の頃の写真
明石信道著 「旧帝国ホテルの実証的研究」より 撮影 村井修
全体を写したものではカラーの写真が少ないので建物の雰囲気を感じ取って頂けるのか心配ですが、帝国ホテルの規模の壮大さを少しでもお伝えできればと掲載させていただきました。写真はいずれもこれまでと同じく明石信道氏の「旧帝国ホテルの実証的研究」から拝借させていただきました。
次回は帝国ホテルの最終回ですがこの建物の大きな要素であり、我々タイル業界にも影響を与えてきたレンガについて詳しく取り上げます。




